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青森県にある縄文遺跡の場所です。
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1 三内丸山遺跡 日本最大の縄文集落 青森市三内字丸山 国・特別史跡 縄文時代前期半ば~中期 青森市の西南部、JR青森駅から南西方向4kmに位置し、沖館川右岸の標高約20mの河岸段丘に所在します。縄文時代前期から中期にかけて、長期間にわたり定住生活が営まれた大規模な集落跡で、竪穴住居、成人用土抗墓、小児用甕棺墓、掘立柱建物、盛り土、捨て場、粘土採掘穴、貯蔵穴、道路などが計画的に配置されています。中でも、クリの巨木を使った大型掘立柱建物跡や東西に420m以上も延びる大規模な墓地は他に例を見ないもので、地域を代表する拠点集落の姿を示しているものと考えられます。遺物では、膨大な量の土器や石器のほかに日本最多の1,600点を超える出土点数の土偶や岩偶、装身具類、骨角器、木製品、漆器、動・植物遺体、寄生虫卵などが出土しています。また、ヒョウタンやゴボウなど栽培植物の種子が見つかり、既に栽培が始まっていたことが明らかとなりました。出土したクリは、DNA分析の結果、栽培・管理されていた可能性が高いことが分かりました。さらに、北陸産のヒスイや岩手産のコハク、北海道、佐渡、信州産の黒曜石、秋田産のアスファルトなど、他地域との交流・交易を示す遺物も出土しています。三内丸山遺跡は我が国を代表する縄文遺跡であり、縄文時代における集落の全体像や変遷、社会構造、自然環境や生業、精神性など、縄文文化を知る上で極めて重要な遺跡です。 青森県教育庁文化財保護課三内丸山保存活用推進室 030-0031 青森市大字三内字丸山305 017-781-6078 40.814019 140.705657
2 小牧野遺跡 縄文の聖域・環状列石 青森市野沢字小牧野 国・史跡 縄文時代後期前半 青森市南部郊外に位置し、八甲田山系から青森平野に向かって延びる、荒川と入内川に挟まれた標高約145mの舌状台地上に所在します。大規模な土地造成と特異な配石によって構築された環状列石を中心とする縄文時代後期前半の遺跡です。環状列石は、直径55mの四重の環状となるもので、約2,900個、推定30tもの石を用いて造られており、当時の先端的な土木技術を駆使して構築されています。その一部には組石も付随しており、祭壇的な役割を持っていたと考えられるものもあり、環状列石は、大地に造形された聖域の結界であるとともに、縄文人の精神世界を表現した創造物であったと考えられます。 青森市教育委員会文化財課 030-0012 青森市柳川2-1-1 017-761-4796 40.746404 140.72212
3 大森勝山遺跡 岩木山麓の環状列石 弘前市大森字勝山 国・史跡 縄文時代晩期 岩木山北東麓の標高約145mの舌状丘陵上に立地する、縄文時代晩期初頭から中葉に造られた環状列石を主体とする集落跡です。環状列石は、盛土した円丘の縁辺部に77基の組石を配置し、長径48.5m、短径39.1mのやや楕円形に作られています。また、大型竪穴建物跡の他、土器捨て場や土坑、埋設土器、炉跡などと共に、縄文時代晩期前半の土器や石器が発見されるなど、当時の精神生活を知る上で重要です。 弘前市教育委員会文化財保護課 036-1393 弘前市大字賀田1-1-1 岩木総合庁舎 0172-82-1642 40.710779 140.389401
4 是川石器時代遺跡 漆工の里 八戸市是川字中居ほか 国・史跡 縄文時代晩期 八戸市の南東部、新井田川左岸の大地に所在し、縄文時代晩期中心の中居遺跡、前期・中期の一王寺遺跡、中期の堀田遺跡の総称として是川遺跡と呼ばれています。中居遺跡からは、縄文時代晩期の弓、櫛、腕輪、藍胎漆器など、赤漆塗りの木製品類が良好な保存状態で出土しております。これらは、工芸的にも優れており木製品類は縄文時代の技術を代表する遺物です。一王寺遺跡からは、バケツを縦に長くした縄文時代前期、中期の円筒土器と呼ばれる土器が多数出土しており、円筒土器の名前は一王寺遺跡出土の土器をもって名付けられました。堀田遺跡は、昭和11年に雑誌「ミネルヴァ」誌上で、縄文文化の終末年代を巡って大論争が行われた遺跡として知られています。 八戸市埋蔵文化財センター 是川縄文館 031-0023 八戸市是川字横山1 0178-38-9511 40.457427 141.504569
5 長七谷地貝塚 縄文のタイムカプセル 八戸市桔梗野工業団地 国・史跡 縄文時代早期 青い森鉄道陸奥市川駅の北東約2kmの場所に位置し、五戸川右岸の北側にせり出した台地の南西斜面に所在します。東北地方においては数少ない縄文時代早期の貝塚です。貝塚を構成する貝類は、ハマグリ、オオノガイなどが多く、内湾砂泥底を中心とした採貝活動の実態が浮かび上がりました。また、スズキ、クロダイなどの内湾性魚類やカツオなどの外湾性魚類も多く見つかっており、活発な漁労の様子がうかがわれます。貝塚からは、魚、鳥、獣を捕獲するための道具も多く出土し、中でも縄文時代早期の漁労具は全国的に例が少なく貴重です。 八戸市埋蔵文化財センター 是川縄文館 031-0023 八戸市是川字横山1 0178-38-9511 40.571645 141.463514
6 亀ヶ岡石器時代遺跡 シャコちゃんのふるさと つがる市木造館岡亀ヶ岡 国・史跡 縄文時代晩期 亀ヶ岡遺跡は、津軽平野の北側に位置する屏風山丘陵の先端、標高約4~16mの丘陵上に所在し、西には日本海に面した七里長浜が広がり、はるか南には岩木山を望むことができます。江戸時代から知られた遺跡であり、「亀ヶ岡文化」の名称の由来にもなった縄文時代晩期の遺跡です。宇宙人を想像させるような大きな眼と美しい文様で飾られた体で、太古の世界のミステリアスさを感じさせる遮光器土偶は、この亀ヶ岡遺跡から出土しました。この他にも、緻密な文様が施されたり、漆で彩色された壷や皿など美しい土器がたくさん出土していることでも有名です。 つがる市教育委員会文化課 038-3138 つがる市木造若緑52 0173-49-1194 40.8819 140.330874
7 田小屋野貝塚 貝輪作りのムラ つがる市木造館岡字田小屋野 国・史跡 縄文時代前期~中期 亀ヶ岡遺跡の北側に位置し、谷をはさんで向かい合う標高約20mの段丘上に位置します。貝塚は全国的に見て太平洋岸に多く分布しており、田小屋野貝塚は日本海側の数少ない貝塚として重要です。縄文時代前期の竪穴住居のほか、ヤマトシジミ、イシガイなどの貝類を中心に、魚類、鳥類、ほ乳類など大量の骨が発見されており、当時の食生活や狩猟・漁労に関する貴重な情報が得られました。また、約60点のベンケイガイが出土しており、ここで、ベンケイガイの貝輪(ブレスレット)作りが行われ、青森県内のみならず、北海道まで運ばれていたものと考えられています。 つがる市教育委員会文化課 038-3138 つがる市木造若緑52 0173-49-1194 40.886903 140.339582
8 大平山元遺跡 日本最古の土器出土 外ケ浜町字蟹田大平山元 国・史跡 縄文時代草創期 陸奥湾に注ぐ蟹田川左岸の標高約25mの河岸段丘上に所在する、縄文時代草創期の遺跡です。土器は縄文時代の開始とともに出現しますが、土器がいつ、どこで誕生したのかはまだはっきりしていません。大平山元遺跡から出土した無文土器は、最も古い約16,500年前のものと考えられており、土器誕生のプロセスを探る上で極めて重要な遺跡です。 外ヶ浜町教育委員会社会教育課 030-1393 外ヶ浜町字蟹田高銅屋44-2 0174-31-1233
9 二ッ森貝塚 青森県最大の貝塚 七戸町字貝塚家ノ前 国・史跡 縄文時代前期~中期 小川原湖の北西岸から西方の内陸に約4km入った標高約40mの段丘上に所在します。縄文時代前期から中期末にかけて栄えた、貝塚を伴う集落跡で、氷河期が終焉し、海水面の上昇により徐々に列島の内陸まで海水が押し寄せた縄文海進の時代、二ツ森貝塚の人々は舌状台地であるこの地にムラを築きました。二ツ森貝塚は、三内丸山遺跡とほぼ同時期に栄えた拠点集落であり、貝塚では青森県最大、東北地方でも有数の規模です。人骨や幼犬の骨が出土し、現代と同様、縄文時代においても、ヒトとイヌの関係が深いものであったことを物語っています。 七戸町教育委員会生涯学習課 039-2592 七戸町字七戸31-2 0176-62-9702
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